雑記 雑感 エトセトラ

日々、思考回路を暴走中。

enjoy being myself

とくにめでたいことではないけど、今日で結婚から10年が経つ。

 

結婚式の当日の朝、洗面所で見た自分の顔を、今でも鮮明に覚えてる。自分を捨てて死にに行く顔。わたしはあのとき確かに一度、とどめを刺して死んだと思う。わたしにとって、「とどめ=結婚」だった。

 

夫と知り合ってから結婚するまで、「この人、ちょっとおかしいのでは?」と心が不穏にざわつくことが、小さなことから大きなことまで、本当はいろいろ何度もあった。

だけど周りに結婚しますと言った手前、引き下がることができなかった。小さな違和感に気づきながらも、立ち止まることができなかった。

 

そもそもわたしは、夫と自然体で話したことがない。結婚するまでも、結婚してからも。自分のこともあまり話さなかった。わたしが生きてきた時間の中にあるたくさんのお気に入りの思い出話や、わたしにとって大切なもののことも、ほとんど話したことがない。夫の感情の地雷を踏まないよう、そして「わかってもらえない」という虚しさで自分自身が傷つかないよう、いつも注意しながら話していた。

たぶん夫は、履歴書に書いてあるプロフィールくらいの薄っぺらさでしかわたしのことを知らない。

 

心を閉じたまま、いい嫁を演じていればいい。どうせもう、人生はなるようにしかならないんだから。そう思って、あきらめた。だから心にふたをした。もう二度とでてこないよう、結婚することでとどめを刺した。さようなら、わたし。

 

その後の数年間は、ちゃんと(?)心が死んでたから、夫とはわりとうまくやっていけてた。不快なことも、ぜんぶ耐えた。

だけど、少しずつ積もっていた不満が一定のラインを超えたとき、死にきれてなかった本来のわたしが目覚めてしまった。それからはもう無理だった。長年、夫の不快な行動に黙っていられたのに、なにもかも耐えられなくなった。

 

夫とは考えが合わないことくらい結婚前からわかってたのに、わざわざ嫌いになるために結婚したのか?ってくらい、ひたすら嫌いになっただけの結婚生活だった。結婚前より好きになったところは残念ながらひとつもない。結婚前の小さな違和感は、巨大な憎悪に育ってしまった。

 

心を殺したつもりでも、死んだふりは長く続かない。本心から納得してない生き方は、やっぱりどこかで破綻する。この結婚を通じて学んだことは、たぶんそれだけ。

 

2年前、子どもを連れて家を出た。夫のもとを離れてから、ああ、これがわたしだなあと実感する瞬間がたくさんある。押し込められていたぶんを取り戻すように、元のわたしよりももっと素直で、自由で、のびやかで、変態なわたしがここにいる。元のわたしよりも、今のわたしが何倍も好き。

 

長い間自分を押し込めてきたのは自分自身であって、夫ではない。自分を出せない相手だとわかっていながら結婚したのは自分だから、この点については、責められるべきは夫ではなく、自分だと思う。夫のさまざまなハラスメントももちろん深刻だったけど、最初の段階で自分が「結婚しない」という選択をしなかった以上、夫だけのせいではない。

 

いろんなことがあったけど、今のわたしになれてよかった。方向音痴で迷走しがちで、一度は自分自身すら見失ったけど、今のわたしはもう違う。自分の心地よい生き方と、自分のたどりつきたい場所が、前よりずっとクリアになって、「自分であること」をたのしんでる。

 

10年前より生きててたのしい。10年前より今がしあわせ。失ったものもあるんだろうけど、10年前より今が好き。

10年分の学びに感謝しながら、自分で自分をたのしみながら、たどりつきたい未来まで、日々を素直に生きていきたい。