8月6日におもうこと
子どもの頃、被爆者はとても身近で、どこにでもいた。
特別な存在じゃなかった。
原爆のあとの人生を生きていた。
子どもだったわたしの目の前で。
街中を歩くと、いま自分の立っているこの足元でもたくさんの人が死んだのだと、ふと思う瞬間が何度もあった。
この場所で、この川で、いったいどれだけの人が。
何重にも重なった死体を、直接見たことはないけれど、頭のなかでは何度も見た。
自分はその上に立ってるような、そういう気持ちになることがよくあった。
もし原爆がなくて、街がそのままで、誰も原爆で死ななかったら、わたしは生まれてきてなかったかもしれない。
そう思うといつもゾッとした。
誰かの命を犠牲にして生まれてきたみたいな気持ちになって、自分のせいじゃないのに、恐ろしかった。
そういうことを考えるのはしんどいことでもあったけど、戦争について、原爆について、平和について、学んだり考えたりする機会がたくさんあったことに感謝してる。
勉強としてではなく、当たり前のこととして、知る機会に恵まれていた。
知識としてではなく、感覚として、自分の一部に今もなってる。
小学生のときにお話をしてくれた語り部の人が、「命には限りがある。わたしたちがいつか死んで直接語れなくなったときには、あなたたちが語り継いで」というようなことを言ってた。
わたしが10歳くらいのとき。
あのときバトンを渡されて、ちゃんと語り継げてる子もいるのかもしれない。
わたしはできてない。
これからでも、できるかな。
わたしに、なにが。
わたしなら、なにを。
使命とかそういうのではないんだろうけど、あとから生まれて広島で育った人間として、できることをしていきたい。
この歳になって、子をもつ親になって、いま、すごくそう思う。
たとえ平和を祈ることしかできなくても、祈る心を忘れずにいること。
それも、大切なことだと思う。
そこからなにか、できることを見つけていきたい。
自分が広島で生まれ育ったことに、なにか意味があるのなら、なにか少しでも、小さくても、わたしにできる役目を見つけて、果たしていけたらいいなと思う。