雑記 雑感 エトセトラ

日々、思考回路を暴走中。

教えるということ

突然だけど、わたしは林修先生が好きだ。言葉の選び方がとても丁寧だし、ものすごくうまい。

「専門家」と「その分野のことをまったく知らない人」とのあいだでコミュニケーションを成立させる翻訳能力と、物事を「相手に伝わる形」で伝える、話の組立技術がすごい。

 

教える仕事はむずかしい。自分が学ぶことと、人に教えることは違う。

自分の理解を、相手の(生徒の)理解に合わせた表現に変えないと、伝わらない。

 

教師をしていたとき、おバカな子、標準的な子、まあまあ賢い子、さらには天才的頭脳の子まで、たくさんのこどもの「理解のしかた」を見た。同じ説明をしても、受け止め方がぜんぜん違う。聞き返してくる質問の質も方向性もさまざま。

だからこっちも、相手によって、クラスによって、伝え方を変えた。どこから話すか、どこまで話すか、どんな順序で話すのか。言い方を変え、見方を変え、例えを変えた。

林先生ほどうまくはないけど、わたしもわたしなりに、相手に合わせて翻訳しながら伝えた。うまくいってたかどうかはわからないけど。

 

使うテキストが同じでも、学習の奥行きは変えられる。

スタート地点の学力は違っても、道のりを変えれば、同じ内容を理解できる。

それはぜんぶ教え方次第だと思う。たぶん、先生次第。

ここは「人に教えること」のおもしろさでもあり、「人に教わること」のメリットでもあると思う。参考書ではできない。

 

もうひとつ、参考書ではできなくて、「人が教えるからこそできること」がある。

それは、憧れる気持ちを共有すること。

強烈な憧れを見せつけられると、人は「つられる」。

よくもわるくも、それは学習意欲に影響すると思う。

 

わたしは生物がすごく好きで、おもしろくて仕方なかった。生徒が「先生、ほんまに生物が好きだね。頭だいじょうぶ?」って呆れるくらい、好き好きオーラを出していた。

おもしろくてたまらないからみんなに言いたい!と、授業を脱線して「ヘビには右利きと左利きがいる話」とか、「セミの幼虫の期間はなぜ素数なのか」とか、「しいたけにレゲエを聴かせると肉厚になる話」とか、1人で興奮しながら話したりした。

たぶん、そんな話をしてるときのわたしは、おめめキラキラ、ときめきが止まらないと言わんばかりの、興奮状態だったと思う。見てておもしろかったと思う(変態っぽくて)。

 

別に生徒を「つる」目的でやってたわけじゃないけど、そんなわたしを見ているうちに、つられて生物が好きになった人もいたと思う。わたしの強烈な憧れにつられて、なんかわかんないけど生物についてもっと知りたくなってきた!って思った人もいたと思う。

 

今思えば、大学の講義は、先生たちから「教える情熱」なんてこれっぽっちも感じなかったけど、先生自身がなにかに強烈に憧れていることが伝わる講義は、めちゃくちゃおもしろかった。強烈な憧れは人を引き付けるし、その憧れの対象に、人を引き込む力があるんだと思う。

 

教える仕事はむずかしい。でも、すごくおもしろい。子どもたちの頭のなかが「なぜ?」から「なるほど!」に変わる瞬間を見るのは楽しい。「?」が「!」になって「♪(たのしい)」になると、あとはひとりでに学び始める。

 

教えるということは、「?」→「!」の段階を支えるものだけど、

「?」→「!」→「♪」まで一緒に行けたら、もっといいなと思う。

 

教える仕事を引退して、もうすぐ10年。

わたしがなにかを教える対象は、今では自分の子どもくらいしかいないけど、日々の暮らしの中で「?」→「!」→「♪」のプロセスを共有しながら、教えることも学ぶことも、やっぱりすごく楽しいなあと思う。

 

世の中にはおもしろいことがたくさんある。もし、教える側の態度や、選ぶ言葉のせいで、こどもたちがそのおもしろさに気づけなかったら、もったいないと思う。

おもしろければ、好きになるし、好きになれば学ぶことは楽しくなる。子どもは本来、「ふしぎ」を見つけるのが得意だし、いろんなことを知りたがってると思う。

「?」の芽を摘まなければ、たくさんの「!」に出会えるはず。これは子どもと向きあう母としても、大切にしたいこと。

 

もう一度教師ができたらなあ・・・という気持ちがないわけではないけど、それはなかなか難しいし、今は今で編集の仕事を天職だと思ってやっているから、わたしは教師には戻らない。

 

その代わり、いま教師をしている人に、全力でエールを送りたい。教師って、本当にすてきな仕事だと思うから。

勉強だけじゃなく、いろんなものを背負っている子どもたち。教師の仕事も、ただ教えるだけではすまなくて、きっといっぱい抱えてる。

想像するだけでも、きっと大変だと思う。

 

教師のみなさま。どうか体をお大事に。

そして、育ちゆく子どもたちのこと、どうぞよろしくお願いします。  

 

あのとき、教師という職業を選んでよかった。短い期間だったけど、本当に、やってよかった。

今はこうして母として、教えること、学ぶこと、育てることのよろこびを楽しめていることに感謝して、今日もいっぱい「?」を探して、世界をたくさん楽しみたい。