日常生活音痴
学力と、日常生活を要領よく暮らす能力は、まったくの別物だと思う。
そして、学習能力があっても、要領のよさを学習によって身につけることは難しい。
わたしは「日常生活音痴」だと思う。
ふつうに一日を暮らすことが苦手。
まわりの人とふつうにコミュニケーションをとることが苦手。
大学あたりから、自分の思考や行動のパターンがわかってきて、ある程度はカバーできるようになったけど、それでもやっぱり、日常生活を「そつなくこなす」ということができない。
できないというか、しんどい。
「そつなくこなしてる風」に暮らすことはできるけど、でこぼこでガタガタな自分を普通に見せるには、入念な準備と、勇気と、大量のエネルギーがいる。
勉強より仕事より、日常生活が難しい。
わたしはいつも不安定だけど、「不安定なわたしのままでいていい場所」では、安心してるから安定してる。
それ以外の場所では、安定感を醸し出そうとしてがんばってる。だから、見た目には安定してるけど、自分が何をしたいのか、自分が何者なのか、ときどきわからなくなって、結果的には不安定を助長する。
「違う誰かになろうとしてる」というと言い過ぎかもしれないけど、でも、それくらいの気合がないと、わたしは地球上の9割くらいの人と、まともに会話ができない。
そういうときのわたしは、言ってることや、やってること自体は、本来のわたしとほとんど変わらないんだけど、すごく緊張してるから、自分の中では、やっぱり違う誰かのような気がしてる。
なんだかだらだらと書き連ねていて、何が言いたいのかまとまってないけど、たぶん今言いたいのは、「日常をそつなくこなせない、このままのわたし」でいていい場所で、自分の好きな人とだけかかわってたいなあってこと。
たぶん、それだけ。
しばらくしずかに引きこもりたい。
これこそ「雑感」って感じ。頭の中の、とりとめのないものたち。
書きたいことは山ほどあるけど、今は年内に仕上げたい仕事たちを、ていねいに仕上げていくことが先決。
がんばろう。今年もあとわずか。
(おまけ)
こどもたちが手形で描いた大きなクリスマスツリー。お店で売ってるツリーより、あったかくて、かわいくて、お気に入り。