「ふつう」を待つ日々
沈丁花の花が好き。
とくに咲き始めの頃の色合いと、においが好き。
昨日の朝、家を出てすぐ、靴紐がほどけた。
靴紐を結ぶためにしゃがんだら、沈丁花のにおいがした。
花のにおいがどこから来てるのか、すぐにはわからなくて、
しゃがんだまま、低い目線で周りを見渡すと、
となりの家の、目隠しされたフェンスの下の、せまいせまい隙間から、
沈丁花が見えた。
小さな花たちが咲いてた。
靴紐がほどけてなかったら、気づかなかった。
川沿いの風景も、よく見ると、いつのまにか柳の新芽が出てた。
黄緑色の点線みたいに並んだ小さな葉たちがかわいかった。
もうこんな季節なんだなあ。
わたし、ぜんぜん気づいてなかった。
空とか風とか色とか音とか、そういうの、感じる余裕もなかったなあ。
いろいろ変化がありすぎて、毎日がただ、あわただしくて、
空が晴れても、花が咲いても、なんだかずっとうわのそら。
世の中が混乱していて、自分は関係ないつもりでも、わたしの毎日もかき乱される。
納得できないまま決まる物事。
頭も心もすごく疲れる。
この日々がいつ終わるのかもわからない。
明日のことも、来週のことも、来月のこともわからない。
「ちょっと先」すら見えてない。
こんな毎日にも、いつかは慣れるのかもしれない。
だけど今は、日に日に疲れていくばかり。
病気じゃなくても寝込みそう。
桜の花が咲くころは、どんなふうになってるのかな。
「ふつう」の毎日に戻れる日を、ただただ静かに待つばかり。