雑記 雑感 エトセトラ

日々、思考回路を暴走中。

平成の終わりと令和の始まり

平成最後の料理は、「にんじんのまるごと蒸し」でした。(平野レミのレシピ)

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令和最初の料理は、「キャベツの大胆カット焼き」(仮称)でした。 f:id:el_girasol:20190501213138j:plain

 

 

大胆かつシンプルに、ありのままで生きていきたいという願望のあらわれかもしれないし、ただの手抜きかもしれない。(たぶん後者)

 

 

元号に興味がなくて、改元なんてどうでもいいなあと思ってたけど、なんだか世の中は年越しそばでも食べなきゃいけないムードというか、元日生まれの人が間違って1つ歳をとるんじゃないかと思うほど正月みたいな雰囲気で、どうでもいいと思ってたわたしも、最終日にはなんかいろいろ振り返ったり考えたりしてしまって、変な感じだった。

 

改めて考えてみると、平成が始まったのは小2のときで、この31年は、わたしにとっては物心がついてからの31年と言っても過言ではない。昭和生まれとは言え、昭和の記憶は写真の中のものでしかなくて、自分の感覚で体感として記憶が残っているのはすべて平成のあいだの出来事なんだなあと思うと、平成が終わるということが、なんだか急に大きなことに思えた。

 

平成最終日の朝。せっかくだから角田光代の『人生ベストテン』のように、平成の思い出ベストテンでも作ってみようかと思ったけど、7歳から38歳って自分自身の変化が大きすぎて、出来事を評価する物差しも、その出来事の意味合いも、成長とともに変わってしまって、順位をつけるなんてできないなーと思ってあきらめた。

 

でも、順位はつけられないものの、わたしの人生の転機になった出来事とか、今のわたしの礎となったもの、意外と変わらなかったもの、意外とあっさり変わったもの、などなど、いろいろ振り返ってみるのはけっこうおもしろかった。

 

生きてるあいだに、もう一度、改元のタイミングがくるかわからないけど、令和の時代も、振り返ったときに「いろいろありすぎて順位なんてつけられない」と思えるくらい、変化と興奮と、喜びと感謝がもりだくさんで、いとおしい日々になりますように。