雑記 雑感 エトセトラ

日々、思考回路を暴走中。

あのねちょう

先週末、河原で子どもが草を抜いたら、土の中からもやしの大群が現れた!!!

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たぶん、カラスノエンドウの芽ばえたち。他の植物の根の下で、地面から顔を出そうと一生懸命に伸びてたみたい。天然のもやしを見たのは初めてで、興奮&感動💛

 

「けなげでかわいいなあ。がんばれがんばれ!」という応援する気持ちと、「味はおいしいのかなあ」という興味と、「本当にカラスノエンドウなのか、育ててみたい」という願望と、いろいろ入り混じりながらも、とにかく初めての出会いに大興奮だった。

 

この日、小2の娘の宿題に、「あのねちょう」(「先生あのね」という書き出して、心に残った出来事を先生に伝える日記みたいなもの)があった。夜、娘が書いているのを後ろからちらっとのぞいたら、もやしを見つけた話を書いている様子。

もやしと遭遇したなんて、やっぱり大ニュースだよねー!心に残るよねー!と、娘がもやしをトピックに選んだことに共感していたのだけど、書き終わった文章を見ると、なんかおかしい。

 

「草をぬいたらもやしがめっちゃ出てきて、お母さんがもやしにもりあがりすぎて、いそいで見にこようとして、いそぎすぎて、お母さんが足をケガしました」

 

確かに、もやしが早く見たくて、近道しようと草むらを突っ切ったときに足を切って流血したのは事実だけど、そこ、書く必要ある?それ、先生に伝えたい?「お母さんがもやしにもりあがりすぎて」って、どういう描写だ(事実だけど)。

 

 この土日も、母的には土曜日に島津製作所創業記念資料館に行ったのがメインイベントだと思っていたけど、娘のあのねちょうには「日曜日にともだちと子どもの楽園に車で行ったら満車で入れなくて、駐車場が空くのを待ってる間に2本のパピコを子ども4人で分けて食べた」という話が書かれていた。子どもの楽園で遊んだ話は書かれてなくて、駐車場に入る前のパピコ。そこなんだ(笑)

 

同じ出来事を経験しても、こどもと大人では、心に残るポイントや、人に伝えたいと思うことが違ってておもしろい。「え、そこ大事?!」って思う部分をくわしく書いてあったりして、大人にとってはどうでもいいことや、気にも留めてない瞬間に、こどもの心が動き、ときめいてるんだなあって気づかされる。

 

あのねちょう、大人になるまで残しておいてあげよう。子どもの頃の自分の目線と、その目で見ていた世界を、忘れないでいてほしい。

お母さんがもやしにもりあがりすぎたことも、記録に残してくれてありがとう。