九九を暗記しない娘がおもしろい件
それは、「めんどくさい」から始まった。
小2の娘は、いま学校で九九を習っている。
毎日の宿題に、九九カードという単語帳みたいなものがあり、それをくり返し声に出しておぼえるように言われている。
娘の場合、だいたいどの段も、「×5」までは順調に言える。でも、「×6」以降があやしい。
「さんごじゅうご」はスラスラ言えるけど、「さぶろく」になると、「えーと、さっき15やったし、3を足して、18?」「さんしちは、18に3を足して、21」・・・以下そんな感じ。
「毎回足し算していたら時間がかかるから、くり返しがんばっておぼえよう!」と声をかけたら、出ました、いつものやつ。
「なんで?」
「なんでおぼえなアカンの?足しても答え出るやん。おぼえたくない。多すぎてめんどくさい。そんなに急ぐなら電卓使えばいい」
まあ確かに。
そんな感じで理路整然と九九の暗記に反抗し、「わたしはおぼえようとは思ってません!」という強い態度で宿題をしてきた娘が、昨日すごいことに気づいた。
「お母さん、わたし、気づいてん」
娘の手元には「3×8」と書かれた紙。
「3×8って、3が8個ってことやろ?それって、4個と4個にわけても同じやん?
3×4と3×4にわけてもいいってことやん?」
「うん」
「3×4は簡単やん。『さんしじゅうに』やから、12やろ。
12と12をあわせたら、24やん。ほら、できた」
「ほう!」
「こうやって分けていったらな、九九を全部おぼえてなくても、いけるねん。
4の段くらいまで知ってたら全部解けるって、気づいてん!」
おめめ、キラキラキラ☆☆☆
いちいちそんなことするくらいなら九九をおぼえたほうが早いだろ!と思うけど、「九九を全部おぼえたくない」というきもちが原動力になって、このひらめきにたどり着いたのは、純粋にすごい。
「楽をしたい」という願望が、ひらめきや発明につながるのだな、としみじみ思った。
わがこながら「天才か!」と思うくらい、娘の工夫はすばらしいと思う。
そしてなにより、そのすばらしい工夫の原動力が「九九おぼえるのめんどくさい」なのがおもしろい。
九九をおぼえなくてすむ方法、がんばって考えたんだなあ。
娘のこういうところ、めっちゃ好き。
まあときどきは、先生の指示におとなしく従ってほしいときもあるけど、娘がずっとこんな感じで、おもしろい人に育つといいなあ。