よろこびは細胞レベルで
ヒト1個体は、約60兆個の細胞でできている。(諸説あるけど)
60兆個の細胞すべてが生きていて、それぞれの機能を果たし、協調して、1つの個体としてのわたしをつくってる。
細胞が1個死んでもわたしは死なない。
でも、わたしが死んだら、細胞は全部死ぬ。
生きてるってどういうことなんだろう。
生きてるのは、誰なんだろう。
ときどき、頭で考えてどうこうではなく、心で感じてどうこうではなく、からだじゅうの細胞が全会一致で、おんなじきもちになるときがある。
例えばすごくうれしいとき。心から満たされたとき。なにかをとてつもなく好きだなあと思うとき。
小腸上皮細胞も、筋細胞も、ニューロンも、血球も、ぜんぶの細胞が余計なエネルギーを放出して、おなかいっぱいになって眠る子どもみたいに、満たされて静まる。(←想像するだけで細胞たちめっちゃかわいいな)
頭のなかも、おなかのなかも、指先も、つまさきも、わたしを作り上げているぜんぶが、おなじきもちに満たされる。
これってすごくしあわせなことだなと思う。
わたしの頭も心もひとつしかない。でも細胞は60兆個。
うれしいこと、しあわせなことは、頭じゃなくて、心じゃなくて、細胞で受け止めたい。そうしたら、よろこびが、きっと60兆倍になる。
悲しいこと、苦しいことは、からだを代表して頭で受け止めたい。つらいきもちは増幅せずに、からだじゅうに広げずに、さっさと分解してなくなればいい。
しあわせが小さすぎて見つからないときも、一人で処理しきれない大きな悲しみにぶちあたるときも、きっとある。でも、そんなときほど、この受け止め方でいきたい。
よろこびは細胞レベルで。
悲しみは個体レベルで。
ときには「60兆個」の感覚で。
ときには「1個体」の強い意思で。
それらをうまく使い分けながら、おだやかに、やさしく、たくましく、居心地よく、わたしらしく、生きていけたらいいなあ。
これからも、おしゃべりなわたしの細胞たちを、どうぞよろしくお願いいたします。
以上、年始の挨拶と、今年以降の抱負でした💛