死に際と来世と酢豚とわたし
「回文」と聞いていちばんに思い出すのは「酢豚つくりモリモリ食ったブス」
「酢豚」を見ていちばんに思い出すのは「酢豚つくりモリモリ食ったブス」
ひたすら同じものを食べているときに思い出すのは「酢豚つくりモリモリ食ったブス」
この回文考えた人、天才だと思う。出会ってかれこれ20数年、思考回路から消えたことがない。
心の支えになる言葉や、思い出の言葉、傷ついて忘れられない言葉なんかとは違って、完全にまったくどうでもいい言葉。なのに忘れられない。
いつかわたしがボケたとき、目の前にやまもりの酢豚を出して反応を確かめてほしい。きっとわたしはうつろな目で、「酢豚つくりモリモリ食ったブス・・・」ってつぶやくと思う。人の名前を忘れても、なんかこれだけは忘れない気がする。
最後に残る言葉は酢豚かもしれない。
相田みつをより、松岡修造より、酢豚。
親鸞より、キリストより、為末大より酢豚。かつての恋人より、酢豚。
いいのか、わたし。最後が酢豚で。たいして好きでもないのに酢豚!
そんなわけで、酢豚より強烈で、「死ぬ間際に思い出す」を通りこして、来世まで心に残りそうな愛の言葉、大絶賛募集中。
昨日の夕飯、酢豚をつくったら子どもたちに不評で、もうちょっと食べてよーと小言を言いながら残った大量の酢豚を一人でもりもり食べきった。
白ごはん片手に「酢豚つくりモリモリ食ったブス」を地で体現しながら、死に際と来世と酢豚とわたしに思いを巡らせた秋の夜。