雑記 雑感 エトセトラ

日々、思考回路を暴走中。

物書きセラピーの1か月

「いっかげつ」を漢字にするとき、わたしは「1か月」が好き。

「1ヵ月」「1カ月」「1ヶ月」「1ケ月」「1箇月」これらは好きじゃない。

 

「いっかしょ」を漢字にするときは「1箇所」が好き。

「1か所」とか「1個所」とか「1ヶ所」とか、好きじゃない。

 

意味はどれでも同じなのに、自分の好きな書き方がいちばん落ちつく。

同じ「か」でも語句によって落ちつく書き方がちがう。

ことばって、ふしぎ。

 

 

このブログを開設して1か月がたった。あんまり更新しないつもりだったけど、書いても書いても(いや、むしろ「書けば書くほど」)書きたいことが湧き出してきて、こいつ暇なの?っていうくらい書いた。

 

本業がまあまあ暇だったというのもあるけど、この1か月、人生に悩みすぎて寝つけない日が多くて、あんまり寝てないから時間がいっぱいあった。「眠いのに起きてる」という時間が長かった。

 

でも昔からふしぎと、眠いときほど自分の中からいろんな言葉がこぼれ出てきておもしろい。客観的に分析するのとは真逆で、むしろ主観の沼にどっぷりはまってる。外の世界ではなく自分自身を味わってる。

 

ブログをやめていた期間は、言葉としてうまく取り出せない、形のない想いを、ただただ眺めて過ごしてたけど、ブログを再開してからは、そんな形のないものをなんとかして文字にできないか、自分の感情を観察してる。それがたのしい。

 

自分の思考を整理して言葉にすることは、つかみどころのない感情の正体をつかまえて、自分の心を落ちつかせ、癒すことにつながると思う。「物書きセラピー」というものがあるかどうか知らないけど、わたしにとってこのブログは、物書きセラピーだと思う。

 

1か月のアクセス数が2400というのが、多いのか少ないのかわからない。読者108人っていうのも。でも、その大半が知らない人であることを思うと、すごいなあと思う(2人は知ってる人だけど残りの106人は誰かわからない)。

 

わたしを直接知っているわけでもないのに、こんな統一感のないわけわからん日記を、楽しみにしてくれている人が100人もいるってすごい。

『いちねんせいになったら』の「ともだち100人できるかな」という歌詞に「できないし、そんなにいらない」と思ってたわたしだけど、自分が100人もの人とつながってるって、純粋にうれしい。すごいことだ。そして、とてもありがたい。

 

1か月で100人もの人がわたしを気に入ってくれるなんて、わたしまだまだ再婚できるんじゃないの!という気がしてきたよ。(関係ないか)

 

誰かのためのエンターテイメントとして書いているわけではない。自分の癒しとして、好きなことを好きなだけ、好きなように書いている。

でも、そんなわたしの言いたい放題のつぶやきが、どこかで誰かのエンターテイメントになっているのだとしたら、それってなんだか、すっごいおトクな気分。

 

これからも、自分の癒しとして、好きなことを書き続けていくと思います。なにかの偶然でわたしを見つけてくださった方も、むかしからのわたしを知っている方も、これからもこんなわたしを観察して、おもしろがってくださるとうれしいです。

 

もし人生の悩みが減って、生活が健全になったら、ブログの更新頻度は落ちると思います。そのときはそのときで、よかったねー!って祝福してくれるとうれしいです。

 

これからも、エントロピーの大きなこのブログを、よろしくお願いいたします。

 

今日は史上最高に雑多な日記になってしまった。